中村未來 | 南三陸町観光協会
さまざまなステージで輝く女性たち。
彼女たちの愛する「かたち」を知ることで、
その「ひととなり」がおのずと見えてくるような気がしませんか。
「かたち」から紐解く24のストーリー。
第4話は、東日本大震災後、大阪から宮城に移り住み、
沿岸部の南三陸町で働く女性が選んだ「かたち」。
人やその土地に息づく手仕事や暮らしに感動し、愛おしむ。そんな彼女のお話です。
土地の体温を感じ、自分の五感を信じて。
南三陸町観光協会 中村未來さん
観光パンフレットやイベントのチラシが並ぶ南三陸町観光協会の事務所。中村さんは小さな籠を下げながら、はじけるような笑顔で迎えてくれた。籠から顔を出したのは、色、形、質感もさまざまな杯やお猪口たち。
「旅行が好きで、旅先で買ったものです。これは若い作家さんご夫婦の萩焼。輪島焼は母と旅行に行ったときのもの。清水焼のお猪口はなかなか見ない発色で、一目惚れしたんです。でも値段が高くて、買うまでに3回ぐらいお店の前を往復しました。大阪の天満切子は彼からの誕生日プレゼント。最近買ったのは、茨城の笠間市で焼き物をされているご家族の息子さんの作品です」
一つひとつ愛情を込めながら、丁寧な紹介が続く。この日持参したのは15個ほど。自宅にはさらに倍以上をそろえる。日本酒好きな彼女。自宅での晩酌はもちろん、飲み会の席や旅先にもお気に入りを持参する愛用ぶりだ。
「旅先で出会った人やお店での会話、一緒に旅した人のことなどを思い出しながら日本酒をいただいています。作り手さんとお話ししながら買うことが多いので、単なるものじゃなくて、その人のストーリーが詰まった大切なものに思えてきます。杯やお猪口だけでなく、何を選ぶにしても大量製産されたものより、作家の顔が見える人間味あるものが好きです」
東京の出身。鳥取の大学で建築を学び、大阪にある設計事務所に勤めていた。日々仕事をこなしながらも、次々と新しい建造物を造り続けることに疑問を感じていた。思い描く建築は、環境や人の営みを優先したものだった。
そんな時、東日本大震災が発生。遠く離れた大阪にいながらも、被災地の映像を目にするたび、「自分に何かできないか」と心がざわめいた。その年の夏、仕事の休みを利用し、宮城県内でボランティア活動を経験。現状を知り、被災地への移住を決めた。
「遠くでできる支援もあるかもしれないけれど、わたしは五感を使って現地で行動したい」
活動の場を南三陸町に決めたのは、復興に対する考え方に共感したから。「まちづくりをハード面ではなくソフト面で考え、人と人とのつながりを大切にしていきたい」。あるプロジェクトの担当者である町の女性職員の言葉が、自分の思いと重なった。「この人と仕事をしたい。そういうまちづくりに少しでも携わっていきたい」。即決だった。
観光協会で働く中村さんが思う観光は、その土地の人や暮らしに光を当てることだと考えている。
「訪ねてみたいと思えるまちって、居心地がいいところだと思うんです。そのためには、住んでいる人が自分のまちを好きで、暮らしを楽しんでいることが大切。たとえ大きな観光施設がなくても、外から来る人がいいなと思えるまちをつくり、交流人口を増やしていくことも観光の一つだと思う」
縁もゆかりもない南三陸町に来て2年。持ち前の好奇心と明るい笑顔で、今では娘や孫のように住民にかわいがられている。農家の稲刈りや畑仕事を手伝うこともある。
「ここで見聞きすることすべて新鮮で、勉強にもなります。掘りごたつや縁側のある家に住んだことがなくて。それだけで憧れですよね。殻付きのウニを食べるのも、ホヤを見るのも初めて。郷土料理も教えてもらいました。この町の人たちは皆さん、何かのプロフェッショナルです」
お気に入りの場所も見つけた。町中心部の高台にある上山八幡宮。木の間から夕日が差し込む風景やここに流れる穏やかな風が大好きだという。禰宜の工藤真弓さんの考え方、人柄にも惹かれている。
来春、この上山八幡宮で結婚式を挙げる予定だ。お相手は大学時代に出会い、現在は同じ南三陸町内の羊牧場で働く彼。その彼といつか、南三陸町に小さな民宿を開くのが夢。
「日本酒と、それに合うあてを出す宿。集めた杯やお猪口の中から、『今日はどれにしますか』ってお客さまに選んでもらえたら楽しいですね」
酒器の蒐集と彼女が考えるまちづくり。双方に見えてくるのは、「人」の姿。出会いに感動し、人やその土地を心から思う。そんな彼女がもてなす宿は、居心地のいい場所になるに違いない。
なかむら・みく
1987年、東京都生まれ。鳥取の大学を卒業後、大阪で就職。震災ボランティアを機に宮城県に移住。2012年10月から南三陸町観光協会で働く。主な担当は民宿開業の支援など。3歳から始めたスキーはかなりの腕前。幼いころから通い続ける長野県白馬村で子どもたちにスキーを教えるのも夢の一つ。