酒井蘭子|陶芸家
さまざまなステージで輝く女性たち。
彼女たちの愛する「かたち」を知ることで、
その「ひととなり」がおのずと見えてくるような気がしませんか。
「かたち」から紐解く二十四のストーリー。
九話は高校時代に愛用した革靴にまつわるお話。
履き込んだ三年間は、今の彼女をつくりあげた大切な月日です。
蘭子さんは自他共に認める「断捨離魔」。断りもなく家族のものまで処分してしまい、怒られることもしばしば。そんな彼女でも、手放せないものがある。高校三年間履いたレザーの靴。
「オールドファッションのところと、周りのみんなと違う形」が気に入り、入学の時に買ってもらった。革が破れてもお母さんに補修してもらいながら履き続けた。緩い坂が続く学校までの道、博物館や美術館巡り…。どこに行くのにも一緒だった。
学校はあまり好きじゃなかった。幼いころからものをつくることが楽しく、本当なら高校に進まず、すぐにでも職人に弟子入りしたかった。目的を見いだせない高校生活。楽しみは放課後や休日に博物館や美術館に行くこと。国立博物館と日本民藝館がお気に入りだった。
「特に面白いと思ったのが器。それも、ギラギラした超絶技巧なものじゃなく、普段使いができる器に惹かれました」。
興味はしだいに創作への意欲に昇華した。高校三年の時、陶芸家になろうと決めた。
卒業後、修業先を求めて各地の窯場をまわった。縁あって石川県・九谷焼の窯元に就職し、成形や絵付けを学んだ。約一年間の修業を経て独立。幼いころに家族で住んでいた栃木県・那須塩原の家の納屋に「若蘭窯(わからんよう)」を構えた。
工房の名付け親はお父さん。蘭子さんの名前と、なにがでてくるか“わからんよう”のダジャレ。そして「思うようにできてはつまらない」というものづくりの面白さ、可能性も表している。
窯を構えて約五年。最近、意識が変わった。
「以前は『作らなきゃ』という焦燥感に駆られていたけれど、落ち着いて向き合えるようになった」
きっかけの一つが、宮城県大崎市鳴子で年に数回オープンされる「里山カフェ」。手作りのお菓子や飲みものなどとともに、鳴子の美しい景色、ゆったりと流れる時間、里山の豊かさが楽しめる人気のイベントだ。蘭子さんはパティシエの友人に誘われ、運営メンバーとして参加。毎回栃木から駆けつける。
カフェでは蘭子さんの器が使われ、展示や販売もする。鳴子や近隣の素材を生かした滋味深いお菓子や飲み物に、シンプルだけど温もりがある蘭子さんの器はよく合う。ファンもできた。「つくりたい」。自信が意欲に繋がった。
二、三年前、作品に添えるリーフレットに記した言葉がある。
「昔のように隣国から徐々に伝わるのではなく大陸を超えて一瞬のうちに文化が入り交じる世界の中で、今の自分に合う色や形は何だろうと考えています。それぞれの時代の特徴はありますが、惹かれる物にはどの時代にも通用する思いやりとオリジナリティーがあるように思います。
その目指す形に一歩でも近づき皆様に共感して頂けましたら嬉しいです」
さまざまな作品を見て、時代や作り手に想いをめぐらせ、自分のやりたい道を見つけた高校時代。時間をともにしたあの革靴は、卒業式以来一度も履いていない。でもこれからも断捨離は無理そう。今の蘭子さんの原点がそこにあるから。
酒井蘭子さん
もうひとつの〝かたち〟
恩師から贈られた手ぬぐい
小学1年から3年まで那須で習っていた剣道の先生からいただいた手ぬぐい。断捨離できないものの一つで、今も愛用している。「試合に勝つ負けではなく、人としての在り方を教えてくれた素晴らしい先生。親とはまた違った大切な存在でした」。剣道塾では「自分のことは自分でする」「人の面倒をよくみる」といった塾生五訓を毎回言わされた。「当時は意識せずに言っていたんですが、大人になってその良さが伝わってくる。その後の人格形成に影響したように思います」
今の作品
普段使いができる磁器の器がメーン。出しゃばらず、それでいて存在感を放つ器たち。シンプルな白皿はどんなメニューにも溶け込み、料理を引き立てる。弦楽器が絵付けされたレンゲは、なんでもないいつもの食卓を楽しいものにしてくれる。「作品に自分の名前とか入れないようにしているんです。そんなことはどうでも良くて、使う方の暮らしの彩りになってもらえたらうれしい」
若蘭窯
wakaranyoh@gmail.com
https://www.facebook.com/sakairanko
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