鬼首にある私の実家では、繁殖牛を飼育しています。その餌となる藁を取る目的と、家で食べる分くらい自分がやれるうちは杭掛けで、という父の信念で、約一ヘクタールの田んぼで天日干しによる米づくりをしています。
昔は家族も多く、お手伝いの人も含め大勢で稲刈りをしていた記憶があるのですが、今では少人数で数日かけて行っており、稲を刈るのは機械でといっても、刈り取られた稲束を集めたり、杭に掛けたりというのはもちろん人力なので大変な重労働です。
作業が終わり、稲束をびっしり掛けた杭はまるで蓑を着こんだ大柄な人がたくさんいるように見え、小さいころは少し恐ろしく感じたこともありました。初めはみずみずしくぴんと伸びた黄緑色の茎は、やがて黄土色にかさかさ乾いてしなだれていきます。籾殻の内ではお米が成熟しているのだと思うと、不思議な感慨を覚えます。
乾燥が済んだ稲を脱穀機に通すと藁くずが排出されるのですが、子どものころ、今は亡き祖父といっしょにそれに火をつけながら各田んぼをまわるのが好きでした。ぱちぱちと火の爆ぜる音、藁の焦げる匂い、風向きによって変わる煙から逃げて遊んだり…。
甘い湯気の立つ新米を口にするとき、ふと、そのころの風景がよみがえります。懐かしさとともに、今年も美味しいごはんを「いただきます。」
佐藤真由美
宮城県・鳴子温泉鬼首地区にあるNPO鬼首山学校に勤務する傍ら、里山の自然・食・手仕事・暮らしを再発信する「さとのわ」のスタッフとしても活動。
http://www.satonowa.com