越護啓子|生活共感プロデューサー・大学講師
さまざまなステージで輝く女性たち。
彼女たちの愛する「かたち」を知ることで、
その「ひととなり」がおのずと見えてくるような気がしませんか。
「かたち」から紐解く24のストーリー。
11話は彼女の活躍の原点となった「家」のはなし。
大好きなお母さまへの想いも重なります。

越護啓子|生活共感プロデューサー・大学講師


母の夢だった、娘の「家」
越護啓子 生活共感プロデューサー・大学講師

 復興庁復興支援専門家、プランナー、プロデューサー、大学講師、母親…。さまざまな顔をもつ越護さん。肩書きを問われると、いつも返答に困ってしまう。
最近の主な活動は、農林水産省や復興庁の仕事として、日本全国の第一次産業者、被災地の支援。依頼は、昨年度百数十件にも及ぶ。
「私がその場にいられるのは限られた時間。限界があります。だから、仕掛けをしていく。その地に居る人達の役割分担や適材適所を見つけ、私が不在でも勝手に動き出す仕組みをつくるんです」

「プロデュース」や「場づくり」の原点は二十年暮らした「家」にある。大好きなお母さまへの愛がこめられた特別な家。
 お子さんたちがそれぞれ小学校、幼稚園へ進む頃のこと。「緑豊かな環境で伸び伸びと子育てがしたい」という願いから、福島県白河市に実家のご両親との二世帯住宅を建てることになった。一番喜んでくれたのはお母さまだった。「母にとって家は特別なもの。強い執着があった」
 お母さまは弟さんの出産時の輸血で慢性肝炎に罹った。当時は十分な薬がなく、長く辛い治療を強いられ入退院を繰り返した。「母が死んでしまうのでは」。幼いころからいつも不安と恐怖を抱えていた。

越護啓子|生活共感プロデューサー・大学講師


 病気をする前まではニットデザイナーとして活躍するなど、当時の働く女性のさきがけの一人だった。病気への不安、子供たちのこと…やりたいことができないがゆえ、次第に目に見えない力を信じるようになった。自宅はいつも整理整頓が行き届き、壁紙を変えたり、建て増しやリフォームを繰り返した。それは見えないモノへのおそれからだった。
 それでも病状が改善しない中、テレビ番組で玄米を中心とした無農薬菜食で肺ガンを克服したという自然療法家を知る。お母さまは家庭菜園を始め、調味料を吟味、食生活を変えると顔色が見る見る良くなった。医師から今後正常にならないといわれていた数値まで戻った。それは奇跡だった。

越護啓子|生活共感プロデューサー・大学講師


 二世帯住宅へのお母さまのリクエストは、ご自身が生まれ育った家に似た「二間続きの和室と縁側」。うれしそうに何度も設計図を眺め、それが少しずつ形になるのが楽しみで仕方ない様子だった。しかし新居に住むことは叶わず、完成四カ月前に亡くなった。 看病や手伝いなど子どものころからお母さまに注いできたエネルギーをどこに向ければいいのか。越護さんは戸惑いつつも、新居に次々と訪れる親戚や友人を得意の手料理で振る舞った。友人のミュージシャンが庭先で即席コンサートを開き、近所の人を喜ばせることもあった。 「忙しくてプライベートで来られないなら、仕事で招こう」。そんな軽い気持ちで、社会で活躍する友人の講演会、セミナー、コンサートを企画した。「普通の主婦」の思い付きながらイベントは成功。それまでなかなか集客できなかった市のイベント会場に、二百人以上を集め、地域の人たちを驚かせた。

越護啓子|生活共感プロデューサー・大学講師


また、料理をして人を招くのが好きだったことが高じて「食の場づくりをしたい」と市内に飲食店も開いた。 まちの活性化や人材育成に携わるようになり、全国を廻ることになった頃 「商品開発の神様」といわれた広野穣氏と出会う。心理学、言語学からみる企業のマーケティング戦略を教わり、今の活動につながる。その師に肩書きではなく「越護啓子」で勝負しろ、と言われた。 「具合の悪い苦痛の顔をしている母を喜ばせたいと、子どものころから勉強も習い事も頑張ったのかも知れない。母のためにとの思いでここまでやってこられたように思う」 「普通の主婦」が飛躍するきっかけとなった白河の家という「場」を近々手放すつもりだ。 「子どもたちを伸び伸びと育てる願いも叶った。いろいろなことが生まれたあの家という『場』は私の人生の起点。住むことはなかったけれど、家に執着していた母の想いも叶えられたように思う。そう思いたい。人のつながりだったり、新しい商品やアイデアだったり、この家のように何かをもたらす『場』をつくる。そしてまた新しい自分の『場』づくりへ。それが、私の生きるスタイル」

越護啓子|生活共感プロデューサー・大学講師


越護啓子|生活共感プロデューサー・大学講師


えちご・けいこ
1958年東京都生まれ。40歳代で広野穣氏に師事。心理学と言語学をベースとした広野メソッドを広野氏亡き後も継承し、新商品開発、ブランディング、人材育成、マーケティング戦略を立案している。杉野服飾大学産業心理学商品開発論の講師として若者の教育にも力を注ぐ。


   
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